偽善者?
2002年2月26日あるホームページに偽善者について書かれていた。書いているのは友人と言えないまでもお互い面識のある女性。僕にとっては憧れの存在だったりする。
彼女の日々の日記は、その日あったことを徒然と語っているのが多いのだが、時にとてもメッセージ性の高い文章を繰り出してきてはこちらをドキリとさせる。僕が普段講読していることを彼女は知らないだろうから、僕宛のメッセージで無いことは確かだけど。(しかし、『僕宛』って考えるところが我ながら図々しいな)
そんなわけで僕には「偽善者」とか「信用できない」とか「○○○」とか書いてあると「自分のことを言っているのではなかろうか?」と気になって仕方がなくなる。
実を言うとこの日記も上の彼女の記述を発見して眠れなくなってしまい明け方起き出して書いているわけだ。
断っておくが彼女自身、自分のホームページでそういったメッセージを発信して誰かを糾弾しようとしているわけではない。そういった人の行動を見て自分のあり方を考えたいというメッセージなのだ。
考えてみると自分は「いい人」に見られたいといつも思っている。特に30過ぎて離婚したあたりからはなおその傾向が高くなったような気がする。
「いい人」でいるということは実を言うととても簡単で楽なことだ。そしてそれ故にいざというときには何の武器にもならないのを僕は学んだ。
でも「いい人」でいることで自分に安らぎが生まれてくる。そのせいで何か損をしてしまったとしても、心に出来た余裕がそれを埋めてくれるのだと思う。だから僕は滅多に落ち込まない。というより、客観的に見るとかなりひどい状態だったりして笑っちゃうこともある。客観的に「もし自分が自分だったらマジでやだなー」って考える。自分だってーの(笑)。
ま、弱音を吐くことはあるけどね。泣き言は言わないよ。(滅多にはね(笑)
念のため言っておくけれど、僕自身は「いい人」でいようと努力しているわけで、当然だが必ずしも「いい人」というわけではない。今までやってきた悪事や人の気持ちを考えずにしてきたことなど思い出せば死にたくなるなるようなこともある。自分でもその未熟さに気付くこともあるし、それは他人から見れば大きなマイナスポイントになるのだろうな。たとえば偽善者という文字を見ただけでこんなに怯えちゃってる(笑)。
彼女の日々の日記は、その日あったことを徒然と語っているのが多いのだが、時にとてもメッセージ性の高い文章を繰り出してきてはこちらをドキリとさせる。僕が普段講読していることを彼女は知らないだろうから、僕宛のメッセージで無いことは確かだけど。(しかし、『僕宛』って考えるところが我ながら図々しいな)
そんなわけで僕には「偽善者」とか「信用できない」とか「○○○」とか書いてあると「自分のことを言っているのではなかろうか?」と気になって仕方がなくなる。
実を言うとこの日記も上の彼女の記述を発見して眠れなくなってしまい明け方起き出して書いているわけだ。
断っておくが彼女自身、自分のホームページでそういったメッセージを発信して誰かを糾弾しようとしているわけではない。そういった人の行動を見て自分のあり方を考えたいというメッセージなのだ。
考えてみると自分は「いい人」に見られたいといつも思っている。特に30過ぎて離婚したあたりからはなおその傾向が高くなったような気がする。
「いい人」でいるということは実を言うととても簡単で楽なことだ。そしてそれ故にいざというときには何の武器にもならないのを僕は学んだ。
でも「いい人」でいることで自分に安らぎが生まれてくる。そのせいで何か損をしてしまったとしても、心に出来た余裕がそれを埋めてくれるのだと思う。だから僕は滅多に落ち込まない。というより、客観的に見るとかなりひどい状態だったりして笑っちゃうこともある。客観的に「もし自分が自分だったらマジでやだなー」って考える。自分だってーの(笑)。
ま、弱音を吐くことはあるけどね。泣き言は言わないよ。(滅多にはね(笑)
念のため言っておくけれど、僕自身は「いい人」でいようと努力しているわけで、当然だが必ずしも「いい人」というわけではない。今までやってきた悪事や人の気持ちを考えずにしてきたことなど思い出せば死にたくなるなるようなこともある。自分でもその未熟さに気付くこともあるし、それは他人から見れば大きなマイナスポイントになるのだろうな。たとえば偽善者という文字を見ただけでこんなに怯えちゃってる(笑)。
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