三連休

2006年9月19日コメント (6)
普段は月に二日ほどしか休めないほどのハードワークなのだが、久しぶりに人並みに三連休がとれた。前もって予定を組んでいれば家族と旅行とかいいシーズンであったのだが、金曜日に休めることが分かったので何の予定も立てていなかった。
うちの奥さんにそのことを告げると「休みなの?」とまるで、迷惑とでも言いたげなまなざしで言うのだ。奥さんはこの休み中にどうしても片づけなければならない仕事があり、子供を保育園に預けていられる土曜日の昼間にそれをやりたいようで、家の中に誰かがいるだけで気が散るのだと言う。
「自分の給料のかなりのパーセンテージを住宅ローンにあてているという一家の主がたまの休みに家でゆっくり休むことも出来ないのかー!」とぶち切れそうになる自分もいたが、一人だけの時間というのも久しぶりと思い、土曜日の昼頃から出かけることにした。

映像関連の仕事をしているのに忙しくてあまり行ってない映画を観に行くのもいいと思い、出かける前に今やっている映画を調べたりした。「うどん」には高校の時の友達が出ている。見に行けというメールが来ていたな。もう一個彼が出演したという「日本以外全部沈没」はどこでやってるんだ?DVDになってからでもいいか。911を題材にした映画も2本あるらしい。続けてみたいが一本は10月公開か。ワイルドスピード3は仕事でちょっと絡んだから観ておくかな。でも結末を知っちゃっているからなぁ。どうせ行くなら3本観たいと思いネットで公開中の映画を検索したのだが、昼から出かけて8時頃帰るには2本しか見られない。しかも間が1時間半ほど空いてしまう。非効率的だし、一人でその一時間半をどう過ごせばよいのだ?なんかめんどくさいな。やっぱ映画はやめよう。次の機会に。

さて、それじゃ次の案は?麻雀をやろう。そのためにはメンツを集めなければ。でももううちを出なければならない。しかたなくスケジュールが何も決まらぬまま家を出た。

麻雀は大学時代は週に3回くらいやっていたけれど、社会人になるとさすがにそんなに出来ない。今の会社に入って1年ほどのころ、直接の上司が麻雀大好き人間だった。彼は仕事もすごくできる人だったので、頭を使うだけでなく運やツキが勝敗を左右する「麻雀が強い人は仕事も出来る」という僕の持論を体現したような人だ。野球選手やタレントなどとしょっちょう打っていた放送局のプロデューサーたちと毎週のように打っていたが、リャンピンのツーシックスなどという法外なレートで打っていたため一晩に14万負けてしまい一月の負けが20万を超えたところでしばらく麻雀から離れた。ま、その頃は私生活でも大事件が起きていたのでそのせいもあるけど。
その後今度は後輩たちに好きな連中が集まり、多いときは平日まで徹マンしていた。そういう事が躊躇無くできるギリギリの年代だったな。
さて、最近連絡すると30分以内にメンツをそろえてくれる、某プロダクションのマネージャーがいるのだが、彼に連絡を取るとNG。で、別のプロダクションのマネージャーに電話をすると夜からなら出来るという。彼がいる卓で勝ったことは1回しかないのであまり相性のいい相手ではないが、いい麻雀を打つなかなか仕事の出来そうな奴だ。

彼と連絡が取れたのは3時頃。それまで何をしていたかというと、昼間やっていた予告編番組でちょっと興味を持った「僕たちの戦争」というドラマのノベライズを駅前の書店で買い、駅前の2階にある喫茶店で読んでいたのだ。僕はコーヒーにはこだわりがある方なのだが、その喫茶店はマスターが亡くなってしまい閉店してしまった。それからおいしい喫茶店を探しているのだけれどなかなか見つからない。この喫茶店は入るのが2回目だけれど、悪くない方かな。

今日は近所の神社でお祭りがあり、駅前の広場では御神輿の出発を待つはっぴを着た子供たちでごった返していた。麻雀は19時集合なのでそれまで時間をつぶさなければならない。とりあえず近くの碑文谷公園に向かった。いつもなら土日の碑文谷公園は近所の若くてきれいな奥さまたちが子供を遊ばせていたりして人も多いのだが、今日はお祭りの方へ行っているのだろうか、割と閑散としていた。ちょうどいいと思い、池を見渡すベンチに腰を掛け近寄る蚊を追い払いながら刺されながらノベライズの続きを読んでいた。
こうして公園で本を読むのは数年前・・・6年前に、その時は彼女もいない孤独な状態で引っ越してきたとき以来だ。スタバを片手に碑文谷公園で読書だなんて粋だなぁなんて思っていた。海外に住む友人にそのことをメールしたくらいだ。大変な思いをして英語で!その頃はこの近所に家を買うなんて思ってもみなかったなぁ。よもや奥さんに追い出され行くところもなく公園で読書をしているなどと・・・。

このあと気になっていたtattooショップを見学に行って時間をつぶし、待ち合わせていた渋谷の雀荘へ行き日曜日の21時半まで闘牌を続けていたのでした。なんと450ポイントのマイナス!やっぱり誘った人、楽しみにしていた人は勝負に弱い。とぼとぼと家路につくのでした。

帰って家族と朝ご飯。一時間ほど仮眠を取って目黒で行われている「めぐろのさんまつり」へ。サンマ釣りじゃなくてサンマのお祭り。鷹狩りに出た殿様が目黒でサンマを出され、城へ帰ってからサンマを料理させたが殿様用の上品な味付けはおいしくなかったので「サンマは目黒に限る」というオチの古典落語がもとになっているらしい。
ちょうどお昼頃バスに乗って行ったのだが、会場は高校の文化祭みたいな感じ、いろいろな国の人が国別にブースを出していました。小さなステージではおじいさんとおばあさんが流れる演歌をバックに民族舞踊?最初はカラオケ大会かと思って「うまい人だなぁ」と思ったら北島三郎さんのCDでした。すぐに移動しようと思ったら娘たちがおばあちゃんの踊る民族舞踊に釘付け。「行こう」「やだ!これ見る!」という親子会話が会場の笑顔を誘っていたようです。
サンマ炭焼き会場へ行くともうサンマはなくもう片づけが始まっていてタダサンマにはありつけず。

さてまたバスに乗り、碑文谷のダイエー前で降りて今度は碑文谷八幡宮のお祭りへ。狭い参道に所狭しとテキ屋が並び、小雨の降る中お参りしました。
途中上の娘が「やりたい!」と言って動かなかったのが、宝石すくい。川を模した水槽にプラスチックで出来た3センチ弱ほどの宝石(ハァ?!)が敷き詰められている。もう終わりなのか、少なくて底が見えていた。気が進まなかったが、子供一回300円を払ってトライ。もみじのような小さな手では3〜4個取るのが精一杯。「もう一回いいよ」とおばちゃんに言われて10個くらいすくってかごの中へ。金魚すくいでもらえるような小さなビニールの入れ物に入ったカラフルなプラスチックたち。どう考えても300円は高い。100円でも払いすぎって感じ。まあそういうものか。
金魚すくいはもらっても世話をしなきゃならないから、娘たちがもう少し大きくなってからにしようと手を引っ張って近づかせないようにしました。

うちの両親は財布のひもが堅く、お祭りではどんなに頑張ってもお面は買ってもらえなかった。いいとこ綿菓子か金魚すくい。そのくらい大変な家計だったのだと思うし、子供に「これは買わない」という毅然とした態度を貫くのは偉いと思った。うちの奥さんとはこういうところでも意見が合わない。

小雨の降る中、娘たちをレインカバーをかけた一人乗りのベビーカーに押し込み、家に帰ると17時。思ったより早かったが、徹夜明けの体は鋼のように重く(笑)、目はドンヨリと曇っていたのでした。
気がつくと眠っていて目を覚ますとテーブルにはカレーライスが!おいしそう!
娘たちも席について今食べんとしているところ。ただのカレーライスなのにどうしてこんなにおいしいんだろう?と言うと奥さんは「そりゃーあたしが作っているからよ!」と自信満々で上機嫌。
食べ終わるといつの間にか寝てしまい、ノベライズまで買った「僕たちの戦争」を見逃す。

そして月曜日。奥さんは仕事でおめかししておでかけ。チビッコ団とお留守番です。上の子は英語の成績が芳しくなかった僕が喋る英語くらいは話せる。下の子は意思表示を笑顔と泣き顔で使い分ける。このON&OFFが頻繁に起こり、我が家はさながら動物園の様相を呈しております。
DVDを見せておくとおとなしいのだが、だんだん画面に近づいていき、見えなくなったどちらかがその前に割り込もうとしてどっちかが泣き出したり。片方がおもちゃを出してきて遊び始めると、片方が横取りしようとしたり。お姉ちゃんの方が横取りしようとしたら絶対に許さない。しかし、妹の方が横取りに来たときは、まだ話しても分からないので「ゆずってあげなさい」とお姉ちゃんを諭す。しかし、まだそこまで人間が出来ていないので納得のいかないお姉ちゃんはまた泣き出す。人生はつらいのですよ。この先、泣きたくなることなんかいくらでもあるのだから、このくらいで泣くのはおよしなさい。もしくは泣けるうちに泣いておきなさい。

奥さんも帰って来て、子供たちを風呂に入れ、夕ご飯を食べて(昨日のカレー)子供たちを寝かせたあと、昨日録画しておいたMOTOGPを観戦。
惜しかったなぁ中野・・・。降り出した雨にもう少し敏感に反応してもう一周早くタイヤを替えていれば優勝できたかもしれないのに。
今日は朝から吉野家牛丼復活のニュースだったが、そんなに大騒ぎしなくてもと思った。牛丼ごときに前日から並ぶなよ。
牛丼久しぶりに食べたいけれど。

そんなことを思いながら僕の三連休は終わるのでした。
旅行とか海とかに行ければ良かったけれど、これはこれでなかなか忙しい三日間だったな。もう朝だ。

なんだかんだで

2005年7月3日
2年近くこの日記を放っておいた間に、なんと3月末にもう一人生まれました。またまた可愛いお嬢ちゃん。

お姉ちゃんの方はもうすぐ2歳。よたよた歩き出し、ママにしかわからないコトバでなにやらよく喋っています。手を前にかざしながら「ちゃたー!」と叫んでいるので何をしているのかと思ったら、妻によると「斬ってるんだよ」。ギター侍の真似をしているのでした。よく聞いていると最初に変なメロディーを歌ったあと低い声になって突然手を前にかざし「ちゃたー!」とやっています。
仕事が忙しく、朝9時頃に出かけると夜中に帰ってくるような毎日。ウチの奥さんは「ほぼ母子家庭」とか「独身に戻りたい」とか言ってますが…。娘たちは時々家に居るよく遊んでくれるおじちゃんによくなついてくれています。
特に上の子は意味がわかって言ってるのかわからないけど「パパー!」とよく言っていて、僕がいなくても写真を見て指を指し「パパ!」と言っているらしい。ここしばらく休みなしだし、一日に数時間しか会えないのでそんなことを聞くととても嬉しい。
最近は帰っても起きていることが多く、そうなると遊んでもらえると思って僕が寝ないと寝ようとしない。一緒に布団に入るとたいてい僕の方が早く寝てしまうが、今日は僕が寝付けなかった。体の一部がどこか接触していないと不安らしく、少し離れると暗闇で手をハタハタやって探してる。両手を伸ばして半分寝ながらつかまえようとしている。手をつなぐとその手を自分の胸に持って行き両手でもってギューッ、ギューッと抱きしめる。なにかすごく嬉しくなった。
本当の愛の意味を教えられた気がする。でもそれは自分が生まれたときから包まれていたもので、今でもそれはいろいろな形、あらゆる場所で続いているんだ。

僕もいい年になってきたのでそろそろローンもぎりぎりではないかと思われ、少し慌てながらも住宅購入を決断。人気沿線の駅近くに格安物件を見つけ、親族の協力に助けられながらもなんとかローン審査も通りました。30歳まで好きなことをやっていたのに幸運もいいところだとホントに思う。ま、大変なのはこれからだけどね。パパは頑張らないといけません。

子供生まれた

2003年11月3日
ご無沙汰しております。
一年ほどお留守にしておりました。この一年でいろいろありまして、ちょうど一年ほど前、突然目の前に現れた僕にはもったいないくらいの美しい女性と意気投合しまして、一軒家を借りて一緒に暮らし始めました。するとその一月後に妊娠が発覚しまして7月に籍を入れ8月の終わり頃に娘が生まれました。
なかなかのスピードです。
少し以前には考えられなかったほど、幸せを感じています。

今まではレッチリのアンソニーの受け売りでSEXこそが愛情表現の究極な形と考えていましたが、出産こそ究極の愛の形と悟りました。

陣痛が始まってから赤ちゃんが産声を上げるまで60時間もかかる難産だったけれど、うまく仕事の隙間に入りずっと一緒にいることが出来た。
助産院で自然分娩にこだわったので、分娩台の上に乗ることなく畳の上にビニールシートをしいた上での出産となった。
本格的な陣痛が来たのは3日目の明け方で、それまでは暑い部屋の中でウンウン言っている彼女をひたすらうちわで扇いでやった。彼女の痛がりようと言ったら気が狂い出すのではないかと心配するほどのものだった。助産婦さんは「旦那さん休んでください」と気を使ってくれていたが、普段の自分の仕事を考えると別に徹夜ぐらいどうって事無かったので、陣痛の合間に仮眠をとりつつ彼女のそばに寄り添っていた。おかげで「まれに見る献身的な旦那様」と評判がよかったらしい(笑)。

3日目の明け方を迎えようとするころに、とうとう彼女が「もう病院に連れてって!」と弱音を吐き出した。僕も見ていられず助産婦さんに相談したところ「もうだいぶ降りてきてるからもう少し頑張ろう」と言われ、その数分後に破水が起きた。それから6時間後に発露していよいよその瞬間、「旦那さん支えて!」と言われ徹夜明けのぼんやりした体のまま意識も朦朧としている彼女を抱きかかえた。膝立ちのままがっぷり四つといったかっこう。
ものすごい力で押してくる彼女を必死で押さえ、「頑張れ頑張れ!」と言いながら今にもひっくり返されそうになるのをこらえていると助産婦さん達が急に静かになった。膝のあたりにポトリと何かが落ちてくるのを感じ視線を落とすとそこには背中を丸めた僕の赤ん坊がいた。今までで体験したことのない感動に「わー!わー!」と腹の底から勝手に声が出て、信じられないほどの量の涙が涙腺から流れ出た。今思い出しても涙腺が熱くなる。
すぐに助産婦さんが鼻から羊水を抜き出すと赤ん坊が産声を上げ始めた。まだ胎盤も出きっていない彼女の胸に我が娘が預けられ、初乳を与える。
「よくやったなぁ!ありがとう!」と声をかけても彼女はボーっとしたまま赤ん坊が生まれた実感を味わうことよりも、今までの痛みから解放されたことに安心していたようだ。

もっとサルっぽいと思っていたがわりと人間らしく、髪の毛もフサフサしていて10分もすると目を開けて周りを不思議そうに見ていた。見る物、聴く物全てが初めての体験ってのは考えると面白い。
2ヶ月になった今は二周りほど大きくなってホッペや太股もぽっちゃりしてまるでマンガみたいな顔した可愛いお嬢ちゃんです。

素晴らしい体験をさせてもらいました。

親父の命日

2002年9月16日
昨日、敬老の日は親父の命日だ。もう13回忌も過ぎて何回目だかどうでもよくなってきてる。祝日と言うことで毎年忘れることがなく助かっている。墓は長野県にあり、毎年お盆と正月と命日には必ずお墓参りに出かけることが習慣になっている。最近では小学1年生と来年小学校入学の甥っ子たちが一緒に行くことも多くなり、賑やかなことこの上ない。

今は誰も住んでいないが、長野に祖父が住んでいた家があり、父も含め家族で一緒によく行ったものだ。小学生時代の夏休みは強制的に8月1日からお盆過ぎまで長野で爺さんの畑を手伝ったりしながら過ごさなければならなかったので、とても憂鬱だった。
とはいえ、モモ畑はモモ食べ放題だったし、用水路で巨大なカエルを救出したり、千曲川の河原に遊びに行ったり楽しいことも多かった。ノグソを経験したのも千曲川へ向かう道の途中だった。
彼女が出来てからは受験勉強が忙しいということで長野行きを拒否し、10日あまり彼女と同棲生活を楽しんだり、その後彼女になった何人かは連れて行ったりした。遊び相手がいないと暇すぎるので連れて行ったのだが、彼女たちは結構緊張しながら来ていたらしい。うちは母親がフランクなタイプだったので僕も「将来のお嫁さんです」などと紹介することもなかったな。

二人の甥っ子達にとっても田舎という存在が貴重なものになるのは間違いない。築30年ほどの風呂なし庭付き納屋付き厠付きの一軒家をきれいに改築してやりたいなぁ。妹夫婦が長野に移住するようなことがあれば一番ありがたいのだけど。

機嫌のいいときの甥っ子はかわいいが、一度ぐずりだしたら面倒くさいなー。妹がこいつらと毎日一緒に過ごしていると思うと尊敬の念すら感じる。母は偉大なりだ。

もう一人

2002年9月7日
またなんでも話せる女友達が増えたかも。
忙しくなるとしばらく遊びに行けないかなぁと思いいつも指名している女の子のいるヘルスへ行ってきた。彼女とは今月で丸4年のつきあいになってしまう(笑)。

離婚してつきあっていた彼女にも捨てられ、契約社員からバイトになったり、人生のどん底を味わっている頃に出会った。彼女は聞き上手というかとても親身になって話をしてくれるのでなんでも話していた。世界で一番僕のことを知っている女性だ。ヘンな話僕が精神的に崩壊しなかったのは彼女のおかげかもしれない。最近ようやく僕の仕事が軌道に乗りつつあるのも彼女のおかげかもしれないとすら思う。

彼女のほかのお客さんも運が上昇している人が多いらしく、「あたしは福マン」と言い張る。やらしてくれてないくせに。

彼女の仕事が終わってからレストランとファミレスをハシゴして5時間くらい一緒に話をした。この前もそうだったけれど酒もなしにこれだけ話せるって言うのは後で考えると不思議だ。今年いっぱいでやめて転職することを聞きビックリ。祝福と残念の複雑な気持ち。でも友だちは続けてくれそうなので一安心。

数年前に自分が風俗嬢と言うことを理由に彼から捨てられたことがあって、その時はすごく落ち込んだらしい。もう過去は取り戻せないって。だからお客さんとはつき合わないことにしてるみたい。僕のお客さんという過去も取り戻せないな。そして、今までで自分からアピールしてつき合ったことがないらしく、言い寄ってくる人は相手にしないことにしているらしい。「○○っちのことは大すきだしつき合ってもいいと思うけれど、それって自分からつき合いたいのか、押し切られているのかわからない」だってさ。遊ばれてる?オレ・・・
元妻ぐらいしかいないと思っていた「何でも話せる女友達」が一人増えた。以前片思いをしていてとうとう音信不通になってしまっていたあの子からメールが来たのだ。

以前のメールで彼女は「大切な人を一人失う気持ち」だと言っていたが、そのあと僕も同じような気持ちになっていたので嬉しかった。ふられたことよりも友人が一人減ったことに寂しさを感じていた。久しぶりに彼女と食事をして40キロ離れた彼女のうちまで送っていった。

2ヶ月ものあいだメールも電話もなし、顔を合わせても挨拶程度という状態が続いていたとは思えないほど会話がはずみ、気がつくとファミレスに4時間近くもいた。妙な終わり方をして気まずい期間はあったがお互いに話が出来なくなってしまったことに違和感を感じていたんだな。

考えてみると彼女とこんな風に再開するのは2回目だ。少しは脈があるのではないかと思いたくもなるが、彼女の場合一筋縄ではいかないのだ。かわいいし、頭も良く、努力家で、口が悪かったりするけども彼女と話しているだけでも幸せを感じる。育ちが庶民的と言うところがまたイイ(笑)。

そう感じるのは僕だけではなく、この2ヶ月の間に彼女に言い寄ってきた男は片手では足りないらしい。つい最近は先週一緒に遊んでいた五つ下の僕の後輩がしつこくつきまとっていたらしくビックリした。彼があんなに遊びたがっていた裏には失恋があったのだなぁ。

彼女とは末永く友だちでいたいものだ。僕に気持ちを向けてくれたら嬉しいけれど、それは期待しないほうがいいだろうな。いい女を捕まえるのは大変だ。

ガンのために外耳とリンパ腺、ほおと首の筋肉を顎の骨の一部ごと切除し腹筋を移植、処置から2週間後12キロの体重と引き替えに意識を取り戻して堂々退院してきた我が友人がさりげなくつぶやいた言葉だ。

半分動かなくなった顔を初めて見たときは涙が出そうになったけれど、話すうちに静かな闘志とやる気が伝わってきて安心した。根気よくリハビリを続ければ復活の日は遠くないはずだ。

具合の悪い患者と一緒になって気持ちが弱るのを避けて個室に入院し、毎日部屋で一人リハビリを続けていた。頑張りやさんの頑張りには応えるぞ!一日も早く復活してこい!
今日も仕事を終わらせた後、ダーツをやりに渋谷へ。どうやら自分にダーツの天才的な才能は無いようだ。器用な方なので何かを友だちと同時に始めたときには大抵先にコツをつかんで優越感に浸っていたのに今回は苦戦してる。ささらないし、狙いが定まらない。後輩に負けるのは悔しいのでもうやめちゃいたい気分にもなったが、意地でも奴よりうまくならなければならん!

後輩と今日で3日も一緒に夜遊んでいることになるのだが、一緒にいるとしょっちゅう彼の携帯にメールが入る。必ず会社の若い子から電話がかかってきたりして。今日なんかは駅前から電話してきた子がいて、ちょうど我々(今日は3人だった)が通りかかり電話中に遭遇したのだが、明らかに彼以外の姿を見ると気まずそうな顔になり、ダーツに誘っても帰るという。じゃなんで電話してくんだよ!ゴメンね彼と一緒にいて。ホントに今まで気がつかなかったけれど、後輩はもてるらしい。

実は先日のパーティーで盛り上がってしまった自分は踊りながら女の子の手をとってフロアーの真ん中へと連れて行こうとして「セクハラだセクハラだ」と非難を浴びてしまった。その時は気分が良かったので全然気がつかなかったけれど女の子から嫌悪感を感じられなければそんなことはいわれないんだよね。あーとうとうそういう存在になってしまったかと思うと、ここ数日毎日遊んでいるにもかかわらず気分が晴れない。毎日一緒にいる奴ならOKなのかと考えると夜も眠れないくらい悔しい(笑)。

しかし、こんな事でおちこんでいたらダメだね。もうすぐ仕事ラッシュが殺人的スケジュールで始まると遊んだりそんなことを考える暇もなくなるから。今年こそ何かいいことが起きるのではと期待していたが、このまま年末を迎えそうな雰囲気。あークソ!

ひとまわりした

2002年8月28日
昨日五つ下の後輩と彼の行きつけの美容師さん二人と4人でお食事会をした。彼女たち二人があるコンテストで優勝したお祝いをしてあげると言うことだった。美容師さんは火曜日がお休みなので火曜日しか遊べないらしい。
もしかしたら車で移動ということもあり得ると思ったので一月ぶりに洗車して集合時間に備えたのだが、後輩の仕事が終わらず彼は0時に戻ってしごとということになってしまった。

表参道の裏道にあるコインパーキングに車を停めて集合場所へ。そこに行くまでの間、しきりに後輩は「好みじゃなくても顔に出さないでくださいよ」と念を押し心配しているようだった。そんな失礼なことしないよ(笑)。

集合場所で二人と合流し、向かったのは七面鳥カフェ?そんな名前だったと思う。駐車場からやけに離れていて、おまけに隣にコインパーキングもあり後輩を責めた。彼はそんな風にいじられるのを好むらしい。誰かにかまってもらえればいじめられていても嬉しいらしいのだ。

ところで会った二人だが、意外に若くてかわいかったので少し嬉しかった。別にお見合い合コンとかじゃないし、あまりにも彼が心配するので過大な期待をしていなかったのがよかったか?年齢を聞いてまたビックリ。22歳だと。一回りもちがうじゃんか!とはいってももう3年働いてるし、大人っぽくはなかったけれど落ち着いた感じで年齢差をあまり感じずに話せた。相手は感じていただろうけど(笑)。

年齢職種に関係なく自分の仕事に誇りを持ってなおかつ常に向上していこうと頑張っている女性は魅力的に見えるな。話をしている間に「この子とつき合ったらどんなかな?」などと余計な妄想が芽生えたが、彼氏がいるらしい話になって少しボルテージが下がった(笑)。

結構話も盛り上がり、後輩は戻って仕事をしなければならないのもあったので23時半頃お開きになった。お店の場所を聞いて駅で別れ、後輩を会社まで送り、家に帰った。
でもよく考えれば女の子のうち一人は僕と同じ駅を使っていて、もう一人も同じ方向だったから、後輩は放っておいて二人を送ればよかった。

眠くなってしまったのでここまで。今日は徹夜明けの彼とダーツをやりに行ってマイダーツを買ってしまった。彼と二日アフターを一緒に過ごして、こういう男がもてるのかもしれないなぁと考えさせられた。
僕は昆虫が嫌いだ。
もちろん子供の頃はカブトムシやクワガタ、カナブン、蝉などを取りに行く普通の子供だったが、物心つくにつれ苦手になってきた。特に毛虫みたいな長い奴は嫌いだ。そしてクモやゴキブリみたいな家にいて出てくるような奴も嫌いだ。
とは言っても僕は大人なので「ギャー」とか声を上げたり、虫が出てきそうな不安から睡眠不足に陥るようなことはない。

昨日、パーティーに行く前に女優と結婚した先輩が夫婦で僕の部屋にやってきた。ボーズを手に入れたので今まで使っていた少し大きめのスピーカーを譲ることにしたので、取りに来たというわけだ。このスピーカーにはLo-Dと懐かしい名前が入っていた。別居する前はYAMAHAのもう少しいいスピーカーだったのに「大きすぎるから」とか何とかいう理由ですり替えられていた。彼女の大勢いる男友達の誰かと交換したらしい。こんなとき男は責めたり出来ないものだ。

ざーっと片づけて二人をお通ししたのだが、女優の奥さんは時々顔を引きつらせながらも大人しくしていたが、先輩の方はやれ暑いだの散らかっているだのうるさかった。

うちにある冷蔵庫と電子レンジと炊飯器は彼が結婚するときに譲り受けたものだ。カビと汚れでものすごいものをもらってしまったと正直思ったけれどきれいに磨いて使っている(冷蔵庫だけは)。

うちにある元妻のおいていった必要のないものでなにか彼らが喜びそうなものはないかと考えていたら、茶色い植木鉢みたいなツボを思い出した。それぞれフタが付いていて「COFFEE」「SUGAR」などオシャレな文字が書いてあって全部で5個くらいある。きれいにして台所に並べればわりとかっこいいかもしれない。

しかし問題は中身が入っていたと言うことだ。彼女が残していったものにはあまり関心が無く、放って起きっぱなしだったのだが、ふと心配になって一つ開けてみた。

「COFFEE」と書いてあったが開けてみるとうす茶色の土のようなものが入っていた。よく見ると3ミリくらいのタマになっている。そして何か例えがたい臭いを感じたが、それほど不快な臭いでなかったのを記憶している。
イヤな予感がしてもう少し明るいところで見てみた。






虫だった。

見たこともない丸っこくてコーヒー牛乳みたいな色をした小さな虫だ。
一匹だけ思い立ったように羽を広げ飛んでいった。幸い玄関を少し開けておいたのでそこから外界に飛び立っていったようだ。他の虫はおそらく自分が飛べることすら気付いていないのだろう。

ビックリしたが、虫の生命力の強さに少し感動した。前のかみさんが引っ越していってからもう2年近く経つ。その間その茶色い植木鉢みたいなフタ付きのツボに僕は見向きもしなかった。どこから来た卵か分からないが、コーヒーの豆の中で孵化し、コーヒーの豆を食べながら2年近く世代交代を繰り返し、暗いツボの中で蠢いていたわけだ(この漢字がまた気持ち悪い)。そう考えると生き物ってスゴイ。きっと下等な昆虫のことだから食うものがなくなったら親の死骸まで躊躇無く食らっていたことだろう。

あー気持ち悪いですね。食事中の方ごめんなさい。
まだ開けていないが、「SUGAR」のツボからは白い虫が出てきたりして(笑)。

もうこいつらは強力なガムテープでグルグル巻きににして段ボール箱を2重にして誰も開けられないようにまたガムテープでグルグル巻きにして燃えないゴミの刑だ。どこかの埋め立て地で何世代でも不毛な繁殖を繰り返してもらおう。

この一部始終は先輩夫婦には極秘のうちに行われたドキュメントである。

ラギー

2002年8月25日
今日は友人の結婚パーティー。レゲエクラブを貸しきりにしてひたすら踊るパーティーだった。
酒は飲めないのだが、カンパリオレンジの薄いのを注文して少しずつ酔っぱらっていった。大音響の中体を動かしていくうちにだんだん楽しくなってパーティーの後半は踊り続けた。なんだかすごくハッピーな気分になって誰彼構わず抱きついてキスしたい気分になった。

こういう会はすごく楽しい。みんなが祝福しようという気持ちで集まってきているから、始めて会う人もみんな笑顔。普段レゲエも聴かないから知っている曲はあまり無かったけれどガンガンに踊れた。女の子もみんな可愛く見えた。

最後には疲れてしまい外に出てしばし涼んでいると、会が終わりになってしまった。十分楽しんだので2次会には行かずに一人車で帰ることにした。帰ってからカンパリオレンジの極薄2杯が効いてきてパタリと寝てしまう。
今日はこれだけ。楽しい会でした。誰からも100パーセント祝福されている二人に幸あれ。

ボーズ

2002年8月24日
今日は友人に誘われ、友人の友人の友人が経営する音楽スタジオの閉店にともなう出物放出セールにつきあう。郊外の道の狭さに閉口しながら現場に向かった。都心の道はどんどん広くなるが、ああいう郊外の駅前って言うのは商店街など土地持ちが多いせいで、区画整理や道路拡張がままならないのだろう。自分の子供がこんなに狭く車の通りの多い道を通学路に使うことを考えると、ゾッとしてしまう。

スタジオは地下にあり経営者の方が待ってくれていた。ドラムセットやマイクスタンドなどが置かれた40平米ほどのスタジオに僕らの目的であるマーシャルやフェンダーのアンプなどがあり、友人の持ってきたギターでいくつか試奏する。マーシャルもフェンダーも中途半端に古いもので、評判の悪かった部分が改良される前のタイプだった。ヤマハやJCなんかも試したけれどこれはやっぱり普通だった(笑)。

少し大きな期待を抱きすぎていた僕は他のものを物色。学生時代から欲しいと思っていたBOSEの小さなスピーカーを見つけた。一本8万円くらいの価値があるものと大きな勘違いしていた僕は2本1万円で譲ってもらい気分良く帰ったのだが、家について価格を調べたらセットで38、000円で、オークションでも一万円を切る価格で競り落とされていた。もう少し値切りゃよかった。ウキウキで帰ってきたのに少しガッカリ。



四畳半劇場

2002年8月23日
僕は2Kの築25年を数える古いマンションの住民だ。いっちょまえにエレベーターと防犯カメラまで付いているくせにトイレは和式だったりする。

その前は12平米のスゴイせまい見てくれだけはモダンな木造アパートに住んでいた。パッと見の外観から一棟に6軒も入っているとは思えない。無理矢理とも思えるロフトが付いていたので帰って寝るだけの生活には不自由しなかったが、壁が薄く文字通り隣の部屋の音が筒抜け。そしてどこかの部屋でセックスが始まると6軒入ったアパートごと揺れ出す(笑)。

ある日僕は風邪をひき熱を出してぐったり寝込んでいた。もうすぐ眠りにつこうかという12時頃、突然いつも静かな隣の大学生がバタバタと帰ってきたかと思うとものすごい音を立てて部屋をかたづけだし、また出ていったかと思うと3分後くらいに女の子を連れて帰ってきた。
僕が音を立てては彼女に気付かれてしまい、大学生の壮大な計画を台無しにしてしまう。喉がいがらっぽいのを我慢し静かにしていた。
別に聞き耳を立てていたわけではない。隣の部屋のどの辺で二人が言葉を交わしているのか位置関係まで分かるほど聞こえてきてしまうのだ。
しばらく雑談をしていたようだが10分もしないうちに急に静かになった。

『えー、だめ・・・』
『ここまで来てダメなの?』
「そーだがんばれ!」

(SE) キスの音
(あえぎ声聞こえてくる)

「ダメちゃうんかい?!」

さて、アパート中が注目していた大学生の一通りが終わった後、ようやく僕も安心して眠れると思っていたら、さっきまでウソのようにおとなしくしていたエヘン虫が急に騒ぎ出した。ここで僕が咳をしてしまうと、すぐ隣に人がいることが彼女にばれてしまう。イカン、ムード台無しだ!しかし、僕の抵抗もむなしくエヘン虫が雄叫びを上げる。10から20発ほど咳をするとまた隣が静かになった。
かわいそうに彼女は自分の恥ずかしい声が隣から聞こえてきた咳のように周りに聞かれていたことを知り、泣きながら部屋から出ていってしまった。大学生は後を「待ってよ」などと言いながら追いかけてゆく。

悪いことをしたと思ったけれど、セックスが始まる前でなくて良かったと思い僕は眠りについた。翌朝7時半頃隣の目覚まし時計で目を覚ますと

「おはよう」

と聞こえてきた。彼女が戻ったので少し安心した。
そのアパートは元妻と別居を始めて1年ちょっと住んだのだが、その間僕とつき合っていた不倫相手(僕は本気だった)は週に2度くらい泊まっていたし、その彼女とのセックスや、泣きながら別れ話をしたりとか、元妻と電話していた声も隣の大学生は聞いていたことになる。考えてみれば彼は誰も知らない僕の人生における山場の証人みたいなものだな。

現在に戻るが、今のマンションは12平米の部屋に比べると格段に広くなった。棚やラックなどを壁に並べて整頓するのが嫌いなので、なるべく床を広く使えるよう家具なども買わず、テレビやステレオも床に置き、気に入っていた大きなソファーを元妻の元から譲り受け、何もないけれどわりと快適な一人暮らしの部屋となった。

いろいろあって元妻が一年ほど居候し、2トン車一杯の荷物で僕の部屋を占領し、彼女がアパートを見つけて引っ越していった後にはおそらく捨てるつもりだったものを残していった。

そのころから僕の仕事は人生で類を見ないほどの多忙さに見舞われ、家に帰っても寝るだけという生活になり部屋は荒れ放題になった。
そろそろこれではいけないと思い、少しずつ掃除をして多少きれいにはなったと思っていたのだけど・・・

今日の日記に何を記したかったのかというと、実は昨日我が家に数年ぶりに来客があり、彼女が「引っ越した方がいいよ」と言うくらいひどい部屋だったらしい。元妻が残していった子犬用の柵を譲るために通したのだが、部屋は見せない方がよかったな(^_^;)。

まずいらないものを全て捨てて、居心地が良く清潔な部屋を作ろう。幸い人間的な生活が出来るくらいの余裕は出来てきた。せっかく来た女性が少しでも長くいたくなるような部屋を作らなきゃね。
今日はダーツ初体験。
会社の仲間たちと渋谷でダーツに興じてきました。一人マイダーツなんか持っていたりする少しかじった程度の先輩がいて、彼にルールや投げ方などを教わり四人で代わる代わる投げました。4ゲームやってまぐれで2回勝った。でも的に当たらないことも多く筋はいい方ではないみたい。

そのうまい先輩は投げるフォームも決まっていて、的を外すこともなくなかなかかっこよかったが、誰かが投げるたびに「あーいいじゃない、いいじゃない、悪くないよ」「おーナイスダーツ、ナイスダーツ、いいねー」「そーそーそれでいーの」「おーやるねー」などとうるさいったらありゃしない。ニコニコしながらやってたけど、的から外れてそのでかい声を聞く度に頭に血が上っていくのを感じた(笑)。あの先輩を黙らせるくらいうまくなってやる!

帰りにドンキホーテにぶらぶらと寄ってみた。ワイヤレスヘッドホンを衝動買い。デジタルサラウンドとかなんとか書いてあったけれど音質はひどいもんだったねぇ。あまりのひどさにビックリ。まぁテレビを見るくらいはいいけれど。

「ふぞろいの林檎たち」のDVDボックスを見終わった。以前書いた僕の思い出のラブホテルはどうやら第2シーズンに登場するらしく出てこなかった。いいドラマだったなぁ。

「そういう恋愛したい(泣)」

涼しくなったねぇ

2002年8月21日
最近お昼まで目が覚めない。
夜は明け方まで眠れない。
仕事を家に持ち帰っても手を付ける気にならない。

最近ようやく夜が過ごしやすくなった。
僕のうちにはクーラーが付いていません。ついでに言えば車もエアコン無し。
そんなことを言うと「信じられない」「絶対耐えられない」と言われることが多いが、意外に過ごせてしまうものです。
僕の家はマンションなのでベランダの窓と玄関のドアを空けておけば、風のある日などはとてもいい風が入ってくる。台風が来ていたときなどはとても涼しかった。無風の時は言わずもがなだけど。たしかに8月上から中旬は厳しかったな。水のシャワーを浴びたりアイスキャンディーなどを食べて体の内側から涼をとってしのいだ。加えていえば夏の間、家ではパンツもはかない。パンツ一枚はくだけで暑いから。タイのお土産のミント成分配合のボディーパウダーなんか体中に塗りたくったりして。
でも、本当にクーラーが必要と感じるのは一年のうち一か月くらいじゃないかな?
ここしばらくホントにしてないけど、セックスなんかするときには必要と思うかな。お互い汗まみれの天然ローションで上気した顔に髪の毛とか張り付いちゃったりして。それもいいかも(笑)。
フジ・ロックの時に泊まった近くのホテルはクーラーが無かった。夜は涼しかったけど朝起きたら汗だくで、「クーラー動いてないみたいですよ」とフロントに電話したら「ここは山ですので自然の風をお感じ下さい」と言われて素直に納得した。窓を開けても強い日差しが入ってくるだけだったけど(笑)。
車なんかは車が少しでも動いている間は真夏の炎天下であってもクーラーの必要性を感じない。エアコンが欲しいなと思うのは冬に窓が曇るときとか、雨の降っている夏。窓が開けられないからね。

全世界のクーラー・エアコンを使用禁止にすれば都会の気温は5度くらい下がるんじゃないのかな?

ちなみに僕の車はもうすぐ30年目を迎えようとしている。走行距離はもうすぐ9万キロか19万キロを迎える。
古い車の排気ガスが空気を汚すからと車検の時に旧車税が課されるらしい。どう考えたって古い車を乗り続けることによって環境破壊が進むとは思えないんだよな。どう考えたってどんどん新しい物を作って古い物を捨てることの方が環境破壊になると思うのだけど。

投石機用意(笑)

2002年8月18日
 昨日はスミカさんたちのOFF会に参加。リンクしてなくて知らない人たちも多かったけれど、とても楽しかった。テーブルが二つにわかれていたので話せなかった人たちもいたのがちょっと残念だったけど。ちょうどエンジンが暖まってきたところだったのになぁ。もう少しYOUさんやとーりさんとお話ししたかったな。もちろんスミカさん、ゴージャス姉妹さんたちも(笑)。2次会のカラオケも行きたかったが、会社から急に呼び出されてしまい、ご挨拶もそこそこに泣く泣く後にした。まぁちめりぃさんにも途中でご挨拶。一瞬だけで失礼致しました。本当にもう少しゆっくりしたかった。
 急遽会社に戻り打ち合わせをして、11時を回る頃から渋谷で限りなくプライベートに近いけどある意味営業も兼ねた仕事仲間の集いに飛び入り参加。担当Pが現場で紹介するつもりだった次回作のクライアントがいて、勝手にご挨拶させてもらった。僕が行った頃にはかなり盛り上がっていてクライアントもかなりの上機嫌だった。いろいろなところに「今から渋谷へ来て!」という電話をかけていて担当Pにもかけたらしく、「あんたそこでなにやってんの?」と言われてしまった(笑)。
 一緒に行った30代になって初めてできた親友で必ず一時間で帰ると言っていたディレクターとともに翌日朝から収録があるっていうのにその狂乱は午前2時まで続いたのだった。まぁ、そのおかげでお客さんの好みや、キャスティングの相談など出来たので僕にとっては収穫の多い飲みではあった。ダブルヘッダーの間に仕事までしてなんて働き者なんだオレは!酒飲めないのに(笑)!

なるほど、だっこではぐはぐか・・・。
漬け物石でも投げておきますか(笑)。

嵐の前

2002年8月16日
 別にOFF会の事じゃありませんよ(笑)。
 20時頃そろそろ帰ろうとしていたとき、数名のプロデューサーに呼び止められ9月10月のスケジュールを聞かれた。今のところスケジュールはがら空き状態なのだが、問い合わせを受けた全ての作品が動き出すとちょっとすごいことになりそう。延期されている2作品も動き出すだろうし、2、3週間は寝る暇もなくなりそう。普通に忙しいくらいがちょうどいいんだけどなぁ。うまくいかないもんです。
 で、僕が最初にとった行動は来週平日に休めるやつを探して海に行く計画を立てました。土日に仕事が入ってしまったので海に行くには平日休むしかないのです。ドンキホーテで安いボディーボードを買ったのに、森戸、真鶴、三浦海岸と全て波の穏やかな浜ばかりだったのでまだ一度も使ってない。よって次回は湘南海岸に決定。少しナルシストでマッチョな後輩と行くことにしました。少し顔の雰囲気が太川陽介に似ている新人でおとなしいけどホントは何を考えているのか分からない不思議な奴だ。別のグループで海に行った奴らに話を聞くと帰りの電車で二人になった女の子に「僕の体どうでしたか?」と聞いていたらしい(笑)。湘南では切り込み隊長になってもらおう。
 そして次にとった行動は麻雀のメンツ集め。去年あたりは週に3回打ったこともあったのに最近はみんな忙しいらしくつき合ってもらえない。ま、先月までは僕に時間がなかったんだけれどね。
 明日のOFF会が楽しみです。

長い一日

2002年8月15日
 昨日は会社には行かずに家で仕事することにした。昼過ぎに起き、読みかけの本を持って近所のジョナサンでランチ。本に熱中して結局帰ったのは4時だった。ちなみにユダヤ人の本は半分までで挫折していて、今読んでいるのは「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」。ミュージシャンのバイオ物を読むとその音楽を深くまで知ることが出来るので好き。英語の歌詞分からないからね。
 夕方帰ってきて、この前ドンキで買ってきたパワーコンパクトクリーナー(掃除機)の威力を試してみたくなって大掃除を始めてしまう。素晴らしい吸い込み力に感動。なんだかんだで仕事を始めたのが夜8時。
 合間にスミカさんの新宿OFFメーリングリストにログインを試みたりして。とーりさんから「どーするの?」とメッセージがありビックリ。おもてのページに自分の名前がなかったので参加予定になっているとは思っていなかったのです。もっと早く確認しておけばよかった。その節はご迷惑をおかけしました。その上「もしかしたら遅れるかもしれない」などとまるで大名のごとき無礼をお許し下さい。土曜日の仕事は収録なので、役者さんや台本の出来によって時間が見えないことが多いのです。でも少し余裕を持って時間を設定してあるので多分大丈夫です。
 そのまま朝まで仕事して、早朝出社し、ドトールコーヒーで朝ご飯を食べながら本の続きを読んで、半分寝ぼけながら仕事をして20時頃に帰ってきました。4,5,6月と地獄のような忙しさだったのだが、8月は予定されていた仕事が次々と延期となり余裕のスケジュール。延期されていた仕事が9月に集中しそうでコワイな。10月からはまたシリーズが始まるし、年末からは26本の120分シリーズが始まるらしい。余裕があるのは今のうちだけかもしれない。もう一回海に行きたいなぁ。
 土曜日のoffでみなさんに会えるのを楽しみにしています。

偽造カード被害

2002年8月13日
 昨日チラッと書いたけれど、誰かが僕のクレジットカードを偽造して使っているらしい。迷惑メールみたいに当てずっぽうに番号を組み合わせて偽造しているのかと思っていたが、驚いたことに今日は横浜銀行から電話があった。バンクカードを使って買い物をしている奴がいるらしい。バンクカードはいつも財布の中にクレジットカードと一緒に入れていて、預金をおろすだけで買い物には一切使わないのだ。
 つまりこういうことだ。何者かが僕の財布からクレジットカードとバンクカードを抜き取りカードリーダーとやらの機械でデータを盗みそれを使ってカードを偽造していた。財布はいつもジーパンの後ろポケットに入れていてズボンを脱ぐとき以外は肌身離さず持っている。ズボンを脱ぐとき?
 横浜銀行のお姉さんに根ほり葉ほり聞かれました。「財布から目を離す機会はありませんでしたか?サウナや海の家、それから・・・風俗店など」「!・・・」電話の向こうで「こいつもかよ、サイテー」「そんなところ行くからやられるんだよバーカ」という彼女の心の声が突き刺さってきた。今後のカード犯罪抑制のために全て白状致しました。どうやらアジア系のマッサージ店での被害が多いらしい。ナイコスからも電話が来て同じ事を聞かれ同じように伝えました。今度は店の名前まで聞かれた。
 いつも指名している女の子にメールをしたら、すぐに携帯に電話してきてくれたみたい。電車に乗っていたので留守電に入っているのを聞いたのだけど。
 久々の風俗ネタになってしまうが僕はお気に入りの女の子にもう3年以上お世話になってる。性欲を吐き出したくて行くのではなく、彼女に会いたくて行っている。ファンみたいなもんだな。彼女のことは人間的に好きだ。結婚してもいいくらい(笑)。ま、彼女は僕のことはお客さんとして好きだろうけど、男として見てはいないだろうからヘタな感情は持たないようにしているけれどね。多くの女性がそうであるように風俗に行っている時点で彼女がバツって思っているのだろうと思うと寂しくなるけど。やはり好きな女性が犯罪に近い場所で働いているのは心配になるな。
 今日の分の仕事がわりとあっさり終わったので、渋谷にCDを買いに行きました。ついレコードを買いに行くと言ってしまう(笑)。iPodにいれておきたいCDが何枚かあったはずだけれど売り場へ行くと忘れてしまう。しかたなくAから順に目に付いた物をガシガシ抱えていった。
 BOSTONのDON’T LOOK BACK、CSN&Yにマイケルシェンカーの神、神話、黙示録とロック・ウィル・ネヴァー・ダイ。懐メロばっかりでCSN&Y以外はレコードで持っていた物ばかりだ。MSGがいまだに新譜を出しているのにビックリした。インスト・アルバムも2枚出ているんだね。でも初めて聴く物を買う勇気がないんだよなぁ。しかし、今高校時代を思い出しながら聴いていると、イイんだよねぇ・・・。次HMVに行ったら買おう。そうだ、「I AM SAM」のサントラも買おうと思っていたのを思い出した。映画は見ていないけれどビートルズのカヴァーばっかりらしいのでちょっと興味ある。映画も見たい。
 そんなことより、カードで精算を済まそうとしたら「限度額いっぱいです」と拒否されてしまった。「そんなことはない」と問い合わせてみると、誰かが僕のカードを偽造して20万円以上も買い物をしていたらしい。僕が損害を被ることは無いらしいので一安心だが、こんな被害は年間100件じゃきかないだろうに経営は大丈夫なのか?
 久しぶりにセンター街をぶらついてさくらやがなくなったのにも驚いた。かわりにABCマートがそのビルに入っていて、激安だったのでVANSのスニーカーを買った。若いやんちゃそうな店員にちょっと話しかけてみると、なんだか面倒くさそうなそぶり。早く仕事を終わらせてあそびたいのかな?ボブルビーを背負って、両手に荷物を持ってなんだかお上りさんになった気分だ。イケてない(笑)。
 夏休みだからか街のあちこちに座り込んでいる若い連中も気になったなぁ。渋谷って昔からこんなに人多かったっけ?多かったとは思うけど、こんなに人だらけだったっけ?自分が若かりし頃はあんなじゃなかったよなぁと思うんだけど。色の黒い奴も多かったけど、黒さじゃ負けていなかったと思う。多分色白な黒人よりは黒いからな(笑)。
 ずっとバイク通勤をしていたのだけど7月末にキーを刺しっぱなしが原因のバッテリー上がりに見舞われずっと乗っていない。同じようなミスを何度もやってしまう僕は、バッテリーが上がるたびに近所の自転車屋さんで充電してもらうのだが、久方ぶりに訪ねてみるとなんと自転車屋のおやじが亡くなっていて奥様が店を掃除していた。3月頃に急に病気で亡くなったそうだ。そろそろ片づけようとしていたところに「今日はお休みですか?」と僕が話しかけてしまった。ちょっと気まずかった。
 仕方がないのでブースターケーブルを買ってきてワーゲンからチャージしなければならないのだが、ワーゲンのアイドリングが安定するのは珍しいことなので誰かにアクセルをあおってもらわないとできない。だからまだバッテリーはあがったままです。最近友人のディレクターがバイクで軽い事故を起こし現場に間に合わず、別の作業で来ていた僕が急遽代役を務めたのだが、こういう事って信用問題にかかわるよねぇ?足に包帯を巻いて終わった頃にノコノコ顔を出し「いやータクシーにやられちゃってさー」なんて被害者ぶっていたけれど、もし僕がそこにいなければお客さんが被害者になってたんだぞ!と怒鳴りたくなるのをおさえ「怪我は大丈夫なのか?」と心配してやった。だからしばらくはよっぽどのことがない限り(よっぽど=寝坊)バイクで通勤するのを控えることにしました。電車嫌いなんだけどねー。おっと明日の準備をしなければ。


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